Monday, June 30, 2008

Jan Toorop






Jan Toorop (ヤン・トーロップ)
1858年12月20日インドネシア (RI (エル・イー)、Indonesia) のジャワ島 (Jawa、Java) 生まれ、1928年3月3日オランダ (Netherlands) のハーグ (The Hague) にて死去。
印象派・新印象派の時代から活動を始め、象徴主義、アール・ヌーヴォー、宗教画と変遷を繰り返した画家。一般的には、オランダ象徴主義絵画を代表する画家として知られている。
1869年、11歳でオランダに移住し、ライデンの学校に通う。
1876年にハーグ派の画家と知り合う。それがきっかけになったのか、1880年、アムステルダムの国立美術アカデミーへ進む。
アカデミーを卒業すると、1882年にブリュッセルに移り住み、1884年、Les XX (20人会) に参加。この時ベルギー象徴派の画家や詩人たちと交流を持ち、その中でも特にジェームズ・アンソール (James Ensor) の影響を強く受けた。この時期かどうかは不明だが、フェルナン・クノップフ (Fernand Khnopff) からの影響も受けたらしい。ブリュッセルでの生活は1886年まで続き、1886年、かねてより交際していたイギリス人女性アニー・ホールと結婚。
妻アニー・ホールの里帰りに付いて行くかたちで1889年にイギリスへ渡り、この地に長期滞在することになる。この時ウィリアム・モリスと知り合い影響を受けた。
結婚してからハーグ、ブリュッセル、そしてイギリスを転々としながら生活をしていたが、1890年4月、南ホラント州にある海辺の街カトヴァイク (Katwijk aan Zee、カトウェイク) に腰を落ち着ける。
Jan Toorop (ヤン・トーロップ) の象徴主義時代の代表ともいえる神秘的で奇怪な作品を生み出すのはこのカトヴァイクという街においてである。
1891年、ユトレヒトにおいて Jan Toorop の最初の象徴主義の作品が展示された。
その後、Jan Toorop の作品には、アール・ヌーヴォーからの影響を窺わせるスタイルのものが増えていく。
1905年、ローマ・カトリックに改宗する。Jan Toorop Research Center で Jan Toorop (ヤン・トーロップ) の作品を年代に沿って見ていくと、あっ、これは改宗したなというのが情報がなくてもすぐに分かる、明らかな変化が作品に現れるので、未見の方はクロニクルに鑑賞してみると面白いだろう。

こういった時代の流れや宗教感に対応したそのスタイルの変わっていき様を時代の流れを読む機微があると見るか、節操がないと捉えるか、それとも複数のスタイルが絡み合った独自のスタイルを持つ画家と見るかで、Jan Toorop (ヤン・トーロップ) に対する印象が大きく違ってきそうだ。とにかく新しいものが大好きだった画家で、様々なスタイルを片っ端から自分の中に取り込んでいた結果、この奇怪なスタイルが出来上がったといえるだろう。

ポストした作品はいずれも象徴主義的な傾向が強かった時代のものになる。
制作された年とタイトルは、1889年の "Les rôdeurs"、1892年の "De jonge generatie (The young generation)"、1890年の "De tuin der weeën"、1892年の "O grave, where is thy Victory (おお死よ、なんぢの勝は何処にかある)"、1893年の "Fatalisme (宿命論)"。

Jan Toorop Research Center
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History of Art: Jan Toorop
Paleta - Exhibition : Bojmans-van Beuningen Museum , Rotterdam
Toorop - Young Generation
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三重県立美術館 Mie Prefectural Art Museum

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