Tuesday, July 22, 2008

Josephine Baker





Josephine Baker (ジョセフィン・ベーカー、ジョゼフィーヌ・バケル)
1906年6月3日ミズーリ州 ((Missouri、MO) セントルイス (St.Louis) で生まれた。本名は Freda Josephine McDonald (フリーダ・ジョセフィン・マクドナルド)。

"Bronze Venus"、"Black Pearl"、"Créole Goddess"、「黒いヴィーナス」 といったニックネームを持つエンターテナー、シンガー。最も活躍した時代はアールデコ期と重なっているので、あの時代のアイコンとしてもよく登場する。

12歳で学校をドロップアウトし、13歳にはシンガー、ダンサー、ストリートパフォーマーとして活動を始めていた。そして、15歳の時にセントルイスコーラスの一員としてヴォードビルに参加し、16歳でフィラデルフィアのスタンダード劇場でのデビューと順調にステップアップしていく。
その後、ハーレム・ルネサンスの真っ最中だった NY へ行き、Plantation Club でパフォーマンスを披露、『シャッフル・アロング "Shuffle Along"』 のコーラスガールの役に抜擢され1923年から1924年にかけての公演に出演し、1924年には黒人のレビューグループ、チョコレート・ダンシーズ (The Cholocate Dandies) のメンバーとなる。
NY での短いキャリアの間で Josephine Baker (ジョセフィン・ベーカー) は、全ヴォードビルの中で最も高給取りのコーラスガール」と宣伝されるまでになっていた。
この後、Josephine Baker はフランスへ渡り、その歌とエロティックなパフォーマンスで一時代を築くことになるのだ。

渡仏後はどういった活躍をしたのか見ていこう。Josephine Baker (ジョセフィン・ベーカー) は、Erté (Erte、エルテ) が衣装、舞台装置のデザインなどを担当したことのある Folies Bergère (フォリー・ベルジェール) の舞台に立つ。この Folies Bergère というレビューには、同じくアメリカ出身の Loie Fuller (ロイ・フラー、ロイ・フュラー) が、Josephine Baker 以前に舞台を踏んでいる。
あの腰周りにバナナをぶら下げた、衣装といっていいのかどうかも分からない姿で踊るパフォーマンスはパリ時代に披露されたもの。時代を考えるとすごくセンセーショナルだったのではないだろうか。

時代のミューズとして、ラングストン・ヒューズ、パブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイといった作家、画家、彫刻家に愛されたエンターテナーだった。

1975年4月8日、ジョセフィン・ベーカーの芸能生活50周年を祝うショーの初日の公演後、脳溢血にたおれ、4月12日死去した。


フォトグラファのパオロ・ロベルシ (Paolo Roversi) が、ナオミ・キャンベル (Naomi Campbell) を起用したジョセフィン・ベーカーへのオマージュとでもいったシリーズ "royale" を撮影している。Paolo Roversi × Naomi Campbell というエントリを続けてポストしておくので興味のある方はそちらもご覧になってみるといいだろう。


Wikipedia - ジョセフィン・ベーカー
Wikimedia Commons
The Official Josephine Baker Website
Josephine Baker

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