Friday, May 08, 2009

加藤木麻莉 (Katogi Mari)


加藤木麻莉(カトウギマリ、Katogi Mari)
1981年茨城県生まれで現在は東京を拠点に活動しているイラストレーター。
学習院大学経済学部卒業後、広告会社勤務。2005年よりフリーランスのイラストレーターとして活動している。

加藤木麻莉の描く作品をザックリ分けてみると、少年や少女が描かれた作品は、童話やファンタジーをもとにした作品であることが多く、女性の描かれた作品は、ボクたちがこうして生活している現実社会を舞台としたものが中心となっている。もちろん、背景が抽象的に描かれている作品もあるし、例外もあるからこれが正しいとはいえないのだけど、あくまでザックリと分けたらこんな感じになると思う。

少年や少女が描かれた作品には、これでもかっていうほど草木が生茂り、花が咲きほこり、蝶が飛び交っている。これは、童話やファンタジーが作品のモチーフになっているからある意味当然ではあるが、植物や昆虫の存在に気が付き、興味を持ち、名前を覚えていくのは子供時代ことで、この時期にはとても身近にある存在だということも関係しているのではないだろうか。それが、年を重ねていくにつれそういったものが目に入らなくなり、興味の対象から外れ、忘れていってしまう。その代わり、流行の服や食べ物、お店といったものから社会や人との関わりなどが生活の中、心の中で大きな比重を占めていく。目で見て、触れて楽しむ対象が変わってくるから、そういった違いをある程度作品の中にも反映させているのではないかと思う。
もちろん、商業ベースで活動しているのだから、作品がクライアントからの依頼にによって、描き方も対象も変わってくるというのが、両者を分ける大きな違いということではあるだろうが。

このように作品の傾向を分けて見たものの、些か無理やりの感があるのは否めない。大体、大人が描かれた作品の中にも植物や蝶が描かれているのだし。しかし、現実にある場所が描かれていたりする分、物語的な雰囲気は希薄だ。実生活の延長にある世界がそこには広がっている。といっても、加藤木麻莉が描くと、そういった作品も現代的な記号が散りばめられているにもかかわらず、昔のファッションフォトの様なレトロでどこか懐かしい風景へと変化するところが面白い。
女の子が描かれた作品の中にも空想世界ではなく、実際にある場所が舞台として描かれているものもあり、例えば、多摩動物園の温室を舞台とした作品などがそれである。この多摩動物園の温室を舞台とした作品は、ガラス張りの天井の現代的な建物が舞台となっている。そこに草木や花や蝶が描かれ、ひとり佇む女の子が描かれいるだけなのに、こちらは女性が描かれる場合とは異なり、どこかしら物語の匂いが感じられる。
空想世界の住人でありえる子供たちと現実社会の住人でしかありえない大人たちの違いが作品に反映されているということなのかもしれない。が、実際のところは、作品を見ているボクが、描かれている女性たちを現実の延長にある存在として捉えているが、描かれている少女に関しては、端から空想上の存在としか捉えられていないからそんな風に思ってしまうのだろう。

いずれにせよ、どこかまどろむような中間色を主体とした色彩で描かれたお伽噺の世界も、この現実世界も、どこか懐かしさが感じられてとても魅力的だ。


さて、本当なら去年の秋頃日本人のアーティストの作品を多数ポストした時にこの加藤木麻莉の作品についてもポストしておきたかったのだけど、ダイアリーで松尾由美の小説『人くい鬼モーリス』 (理論社 ミステリーYA!) のカバーと挿絵を手がけたというのを読んで、ならばそれを読んでからにしようと思ってから、あっという間にそろそろ春ですねえという季節になってしまった(諸般の事情でそれも過ぎてしまったが)。

松尾由美の小説は『ブラックエンジェル』を読んだっきりで、今回読んだ『人くい鬼モーリス』が2冊目。そういえば、昔、ロック・ミュージックとSFという組み合わせが気になって『異次元カフェテラス』を古本屋で探していたことがあった。しかし未だに一度も現物を見たことがない。

『人くい鬼モーリス』の内容については、加藤木麻莉がダイアリーの中でこの作品のイラストを手がけたことについて触れ、その中で作品の要約もしていたので引用させてもらうと、

物語は、夏の美しい森を舞台に、少女たちと人くい鬼の周りで起こる殺人事件。
ミステリーであり、ファンタジーであり、青春小説であり、絵本であり…
最後はじんわり温かい気持ちになって泣いてしまう、不思議なお話でした。


ということになる。
より詳しい内容については、幻想文学の紹介人として昔かなりお世話になった風間賢二が書評していたので、そちらを参考にして頂きたい(【週末読む、観る】(3)『人くい鬼モーリス』ほか (2/4ページ) - MSN産経ニュース - こちらを読んで、気になった方は書店にGoだ!)。

児童文学では大手とはいえ、理論社から出ている本を読んだ人が一体どれほどいるのだろう?と思い検索してみると、結構な人がこの『人くい鬼モーリス』をブログで取り上げている。書評系のサイトやブログを普段見て回ることがないのでその世界がどういう流れになっているのか知らなかったが、皆さん面白そうな本を探し回っているものなのだなあと、ちょっと驚いた。すべてのブログに目を通した訳ではないが、概ね好評だった。
ボクの場合は、『人くい鬼モーリス』を読んだのがもう冬だったこともあり、ああ、夏に読みたかったなあと、読後とても後悔した。夏の終りに読み返したくなる小説やマンガ、見返したくなる映画というのがあって、この『人くい鬼モーリス』はそのリスト入りを果たした。このリストには、例えば、ジュリアン・グラックが「九月の悲しみ」というべきものを感じたというジャン=ルネ・ユグナンの『荒れた海辺』をはじめ、倉橋由美子のいくつかの作品、伊藤重夫の『踊るミシン』、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』、相米慎二の『台風クラブ』などが入っている。

人くい鬼モーリス

さて、『人くい鬼モーリス』の書評をしたブログでは意外と試みられていなかった引用をしてみたいと思う。

つまりわたしは、お金持ちの優雅な別荘の一室で、初対面の美少女と家政婦さんの前で、みごとに尻もちをついてしまったのである。
しばらくのあいだ、誰もなにも言わなかった――少女が何やら小声でつぶやいたのをのぞけば。そのあと、
「笑ってもいいですか?」
今度ははっきりした声で、床にへたりこんだわたしの顔をまっすぐ見ながら言う。冷静に、にこりともせず。
「どうぞ」 わたしはやけくそで言ってから、つけ加える。「猫じゃありませんから」
「何ですって?」
少女がけげんな顔になる。わたし自身、どうしてそんなことを言ったのか不思議だったが、
「前に読んだ小説の中にありまいた。」 両手を床についたまま説明する。
「猫を笑ってはいけない。猫はこっけいだが、彼らにはユーモアのセンスがないからだ。笑えば気を悪くして、あとで仲直りするのが大変になる――って」
松尾由美 『人くい鬼モーリス』 理論社 ミステリーYA! より


猫にはユーモアのセンスがない。あるのは極端に驕慢なエゴと過敏な神経だけなのだ。それではいったい、なぜそんな面倒な動物をチヤホヤするのかと訊かれたら、ぼくには、なんと答えようもない。匂いの強いチーズをきらう人になぜリンバーガー・チーズを "好きにならねばならない" のかを説明する方がまだいいくらいだ。にもかかわらずぼくは、眠りこんでいる小猫を起こさないために、高価な袖を切り捨てたという昔の中国の官吏の話に、心の底から同感するのである。
(中略)
「彼だよ。ピートは牡猫だ。いや、とくに神経質じゃないよ──いつも、大事にされつけているんだからね。猫を笑うことも、絶対いけない」
「なんですって?それ、いったい、どういうことなの?」
「猫はけっして面白くはないからさ。彼らは滑稽なんだ。しかし、彼らにはユーモアのセンスがないから、それが彼らを怒らせるんだ。もちろん、猫は、笑われたからといって引っ掻きはしない。ただ、向こうへ行ってしまうだけだが、あとで仲直りが大変になるんだ。しかし、それは一番大切なことじゃない。一番大切なのは、猫の抱きあげかただよ。やつが帰ってきたら教えるよ」
ロバート・A・ハインライン (Robert A. Heinlein) 『夏への扉 "The Door into Summer"』 ハヤカワ文庫 SF より

顔文字文化の弊害か、ハインラインの日本語表記が人のカオに見えて仕方がない、という今更の感想は置いておくとして、主人公である二人の少女の出会いの場面と、語り手である16歳の少女が言及するハインラインの小説の該当する部分を並べてみた。「なんですって?」の部分は面白いし、上手いなあと思う。
引用した二人の出会いを読んだ時、小生意気な美少女を形容するのにこれから猫が使われるのかなと予想したのだけど、その予想は見事に外れ、床板が猫の声みたいに「ミュウ」と音を立てたという場面にしか猫は登場しなかった。美少女は猫の様であって欲しいと思っているボクとしては、そこが少し残念だったのだけど、ユーモアのセンスがないと例えられている猫は、少女を形容するのに使い辛かったのだろう。その代わりに別の生き物が件の美少女(のある仕草)を形容するのに使われたのだけど、さてそれは何であったのかお分かりだろうか?

以上かなり脱線してしまったが、今一度加藤木麻莉のことに話を戻してみよう。
『人くい鬼モーリス』 のイラストを手がけたことをダイアリーの中で触れていることは先程書いたが、そこにはこう書かれている。

あぁ、イラストレーターやめてもいい。
この本が手元に届いた時、ページをめくりながらそう思いました。

な、何ですと!?と驚いたりはしなかったのだが、この小説のイラストを手がけたことで、ある種の達成感があったことは感じられた。引用した文章にはもちろん続きがあって、それは

イラストに関しては点数以外ほとんど指定がなく、かなり自由に描かせて頂き、
今描きたいモノを、今見せたいモノを、描ける仕事だったと思います。
一生で、あと何度出会えるのか。
矛盾していますが、この仕事を続けていく自信になりました。

と続いている。
作家がこういった感想を漏らす作品に出合えることはそう多くはないのではないだろうか。加藤木麻莉の一つの到達点(なんて言い方は大袈裟で、加藤木麻莉もあまりいい顔はしないだろうが)となったこの本を是非手にとって、松尾由美の書いた物語を加藤木麻莉の描いたイラスト共に楽しんでもらえたらと思う。

加藤木麻莉の作品は最初、童話をモチーフにした作品を取り上げるつもりでいたのだけど、 『人くい鬼モーリス』 を読んだ結果、こういうチョイスに落着いた。童話をモチーフにした作品にも好きなものが沢山あるので、作品の使用がOKであるのであれば、いずれまたポストしてみたいと思う。

最後に、加藤木麻莉は現在、"DECADE - Classic Rock Albums : 1980-1989"という展示会に参加しているので、そちらを紹介しておこう。

DECADE - Classic Rock Albums : 1980-1989
平川彰 レコード・ジャケット・デザイン展
2009.5.7(木)~16(土)11:301~19;00(土曜日は17:00まで)
>> ギャラリーハウスMAYA2

幻冬舎の平川さんが、80年代のロック・ポップスの名盤をリ・デザインするという面白いイベント。
私を含めた10人のイラストレーターが描いた原画はもちろん、
平川さんがデザインしたレコードジャケットも展示します。

素敵な作家さんがたくさん参加するので、ぜひご来場下さい。
私にとっては1年ぶりの展覧会、新作2点を展示予定です。

Katogi Mari Illustration - イラストレーター 加藤木麻莉(カトウギマリ)

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